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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2686号 判決

控訴人 富士野徳一

右訴訟代理人弁護士 吉田栄三郎

被控訴人 旧商号明治不動産株式会社 東京明治不動産株式会社

右訴訟代理人弁護士 岩村滝夫

主文

原判決中、左記第二項に該当する部分を取消す。

控訴人に対し金一〇〇万円に対する昭和三九年九月一〇日から同年一二月二六日まで年五分の金員の支払を求める被控訴人の請求を棄却する。

控訴人その余の控訴を棄却する。

原判決主文第一項は被控訴会社の当審での請求の減縮の結果左記のとおり変更された。

すなわち、控訴人は被控訴会社に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三九年一二月二七日から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審を通じ全部控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴会社の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴会社の負担とする」との判決を求め、被控訴会社代理人は「本件控訴はこれを棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠の提出、援用、認否は左記のほかは、原判決の事実摘示の記載と同一であるから、これを引用する。

被控訴会社代理人は、「(一)、被控訴会社は、昭和四〇年一一月一六日訴外富士野英治から金三〇万円の弁済を受けたので、本訴請求中右金三〇万円に関する分を減額する。(二)、被控訴会社が富士野英治に対し本件求償債権を取得した経緯は、次のとおりである。すなわち富士野英治は、被控訴会社に勤務中、昭和三九年一月中、被控訴会社名義を使用し、訴外斎藤(旧姓塩淵)チドリに対し、栃木県那須郡那須町大字高久丙字玉取手一、一四八の二〇山林六反六畝二〇歩を代金二四〇万円で買受けるよう申入れ、かつ同人がこれを買受けた場合は後日代金二九〇万円で他に転売のあっせんをすべき旨申入れて、同人の承諾を受け、同年同月二〇日頃、被控訴会社京橋支店において、同人よりその買受代金として金二四〇万円を預り、その後右不動産が他に転売できたもののように装って、同人に対し、前記二四〇万円中金九〇万円を交付し、仲介手数料名義の金二〇万円を差引いた残額金一三〇万円を着服横領した。その結果、被控訴会社は、使用者としての責任上、右斎藤に対し損害金一五〇万円の支払義務を負担するに至り、同年九月一〇日同人に対し右金員を支払った。その結果、被控訴会社は、英治に対し、同人が横領した金一三〇万円の求償債権を取得したものである。(三)後記控訴人の(二)の主張事実中、被控訴会社の従前の主張に抵触する部分は争う」と述べた。

控訴代理人は、「(一)、被控訴会社の請求の減縮に異議はない。(二)、控訴人が、英治の横領について責任をもって解決する旨その記載のある「確約書」(甲第五号証)に署名した事実は認めるが、右確約書は、被控訴会社から、富士野英治が三昼夜監禁され、この証書に署名しなければ右英治を解放しない旨強迫され、かつ控訴人は自己使用の眼鏡を所持しなかった為めに、右証書の内容を了知しない儘、これに署名させられたものである。仮りに右証書が真正に成立したものであるとしても、控訴人は被控訴会社に対し、昭和三九年九月一〇日電報をもって、被控訴会社主張の本件債務引受契約を解除した。よって被控訴会社の本訴請求は失当である。」と述べた。

〈以下省略〉。

理由

一、〈省略〉総合すれば、被控訴会社が前記被控訴会社の(二)の主張記載の経緯によって、富士野英治に対し金一三〇万円の求償債権を取得するに至ったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二、被控訴会社は、控訴人が、昭和三九年八月二二日英治の本件債務について重畳的債務引受をなしたと主張するのでこの点について判断する。

控訴人が、同人において英治の横領について責任をもって解決する旨等の記載のある確約書(甲第五号証)に署名した事実は控訴人の認めるところである。

〈省略〉控訴人は、右確約書は被控訴会社が英治を三昼夜監禁しこの証書に署名しなければ、英治を解放しないなどの被控訴会社の強迫にもとづいて署名したものである旨主張するのでこの点について検討するに、原審証人笹部三郎の証言(第一、二回)および当審における控訴人本人尋問の結果(但し右本人の供述中、後記措信しない部分を除く)並びに前記一において認定した事実を総合すれば、右確約書の作成された経緯は次のとおりであったことが認められる。すなわち、英治は昭和三九年八月、本件横領の事実が露見すると、一時行方をくらましたため、被控訴会社はその行方を追及していたが、ようやくたずねあてて出頭せしめることを得た。被控訴会社は、英治が右横領金をなお所持しているものと考え、これを追究すると共に、再び同人が行方不明になることをおそれ、被控訴会社は八月二〇日頃より三日間位にわたって、二、三人の社員を同人につけて金策に奔走させ、その間夜も帰宅させず、英治は社員がつききりで渋谷の東急ホテルや会社の近くの旅館に宿泊した。結局英治は、金がないから父に会って呉れというので、被控訴会社から英治の父である控訴人に連絡があり、かつ英治の妻からも連絡をうけたので、控訴人は被控訴会社に出向き、被控訴会社の業務監査部の笹部と面談した。右笹部は控訴人と事件の解決の為の各種の案について折衝の末、控訴人は「最悪の場合でも一カ月五万円は出す」と述べたので、笹部が前掲確約書を作成し、これに控訴人が署名したものである。もっとも右各証拠によるも、笹部は控訴人に対し相当強硬な態度で交渉した事実はこれを推認するに難くないが被控訴会社の側で、控訴人または英治に対し暴行を加え、その他身体に危害を加えるような言動に出た形跡は認められないのみならず、前記認定のように英治は当時ホテルに宿泊し、昼は金策に歩くというような状態であったのであり、しかも前掲各証拠によれば、英治は再び行方をくらますおそれがあった事実が認められるから、前記控訴人の署名が、被控訴人側において社会通念上許されない程度、方法によって相手方を監禁したとか、相手方に畏怖の念を生ぜしめるような行為があった結果なされたものとは到底認めることはできない。〈省略〉それ故、控訴人のこの点に関する主張は採用し難い。

しかして前記甲第五号証と原審証人笹部三郎の証言(第一、二回)および前段認定の事実を総合すれば、控訴人は、昭和三九年八月二二日被控訴会社に対し、同会社が前記斎藤に損害金を払った場合英治が被控訴会社に支払うべき本件債務金一三〇万円につき、重畳的債務引受をした事実を認めることができる。

〈以下省略〉。

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